Column

2024.9.2

震災遺構 仙台市荒浜小学校

 

                               取締役 撫佐昭裕

    宮城県仙台市の荒浜小学校は2011年3月11日の東日本大震災で被災し、2016年3月に閉校、2017年4月に震災遺構として保存、公開されている。私は公開後5~6回ほど訪れている。仕事関係者や知人などが仙台を訪れた時に、震災遺構の見学先として選んでいるからである。選択している理由は二つある。この小学校は仙台市街からアクセスが良く、地下鉄とバスで行け、また車を使っても短時間で行くことができるからである。また、もう一つが、震災当日、生徒、近隣住民そして教職員320名が避難していて、翌日までに全員無事に救出さていることである。私にとっては、この二番目の理由が大きいかもしれない。命を守った遺構として、安心して訪問できるからである。何度訪れてもこの小学校が堂々としていて輝いて見える。小学校の正面に「ありがとう。荒浜小学校」の横断幕が掲げられているのも良い。

                                         震災遺構 仙台市荒浜小学校

 

                                       津波の力でねじ曲がったフェンス

 

    津波はこの小学校の2階まで達している。その時の傷跡が校舎の外側や1階の教室で見ることができる。そして3階の4つの教室が展示コーナーになっている。4つの教室のタイトルは
    1. 3.11荒浜の記録
    2. 明日への備え
    3. 在りし日の荒浜
    4. 交流活動室
であり、テーマに沿った展示やビデオ放映を行っている。4番目の「交流活動室」はイベントで使われるところだが、何もない時にはNHKが震災前に取材した荒浜地区の歴史や文化のドキュメント番組が放映されている。

   

    私は、このNHKの番組と1番目の「3.11荒浜の記録」で放映されているビデオをゆっくり見るため、2回ほど一人で訪れている。NHKの番組では、荒浜地区は長い歴史があり、その土地の風土に合わせた生活が築かれてきたことがわかる。この生活が失われたことは非常に残念だ。今となってはNHKの番組は貴重な資料になっている。そして、「3.11荒浜の記録」ではいくつかのビデオが放映されている。震災当日の状況を、当時の校長先生、教員、生徒、地元住民の方々が語っている。このビデオで当日の状況を知ることができる。そして、それぞれの方々がその時、何を感じ、どう行動したのか、そして今の思いを語っている。私は教員の方々のお話を何度も聞いているが、毎回胸が熱くなる。何が起きているか理解できず、自分自身も不安を感じている中、不安のどん底に落ちている生徒を目の前にし、大人として、そして教員として行動している。また、住民の方のお話も印象的で、この小学校は地元の方々から厚い信頼を得ていたことがわかる。そして、その信頼通りに皆さんを守り、全員の救助につなげている。荒浜小学校は地元に根付いた素晴らしい小学校であったことを知った。

   

    震災遺構を訪れる方々は、限られた時間の中でその当時の状況や教訓を学ぶために訪れていると思う。訪問の際には、津波の傷跡や展示物を見るだけでなく、解説員の方やビデオで語られているお話に耳を傾けてほしい。展示物からは読み取れない多くのことを知ることができ、また、想像ができる。訪れたタイミングで放映しているもので良いので少しお時間をとって見て頂ければと思う。きっとあなたの心に残る何かと出会えるはずです。

 

    追伸:
    荒浜小学校を訪問したら、その隣(数百メータ海より)にある震災遺構荒浜住宅基礎にも寄ってもらいたい。津波で流された住宅の跡や津波で削られた土地など珍しい遺構が保存されている。

 

                                         震災遺構荒浜住宅基礎の例

 

 

動画:震災遺構 仙台市 荒浜小学校、荒浜地区住宅基礎