Column

2024.4.15

千葉県 飯岡

                               取締役 撫佐昭裕

    私の母方の祖父母は千葉県旭市飯岡の出身で、祖父は玉崎神社側の大きな商家に生まれ育った。二人が結婚し4人の子供を連れて東京へ移り、そこで生まれたのが私の母で、東京で生まれたので京子となったらしい。飯岡には親戚がいることになるのだが付き合いはなく、50年ほど前に一度訪れたことがあるだけだ。たぶん、誰かの法事だったと思う。その時には玉崎神社の側ではなく、飯岡の海岸沿いに家があった。裏口を出るとすぐ海で、私より一つか二つ年上の男の子と遊んだ記憶がある。

 

    2011年3月11日、東日本大震災が発生した。飯岡は7mの津波が襲い、関東の中では大きな津波被害が発生した。死者行方不明16名、建屋全壊334棟、半壊923棟に及んでいる。私は、あの家は無事だったのだろうかと頭をよぎったが、それきりになってしまった。

 

    昨年の夏(2023年7月)、飯岡に津波被害を伝承するための資料館があることを知った。早速、訪れることにした。そこは旭市防災資料館である。東京駅から特急「しおさい」に乗り旭駅で下車、そこから千葉交通バスで「食彩の宿 飯岡入口」へ、所要時間は約2時間30分だった。都会の雑踏から田園へと移り変わっていく風景を見ながら、祖母から聞いた話を思い出した。それは、千葉から銚子に鉄道を敷設する時、計画では九十九里浜沿いに鉄道を引き、飯岡に駅を作ることになっていたと言うものだ。ちょうど祖父の家の前が予定地だったらしい。しかし、煙と火の粉をまき散らす鉄道が通ったら大変だとのことで、九十九里浜沿いの町をあげて反対した。その結果、鉄道は海岸線から離れたところに引かれた。そして、九十九里浜沿いの町は発展から遅れることになり、商売も衰退した。その結果、祖父母たちは東京に出てきたと。総武本線は山武市、横芝光町、匝瑳市、旭市と九十九里浜で有名な市町村を通るのに、海が見えないのはこのような歴史があったからだ。

 

    バスを降りて海に向かうと浜辺に出る。そこに「2011.3.11 東日本大震災 旭市飯岡津波被災の碑」が建っていた。今回の被災の教訓を後世に残すことを目的とした碑だった。また、祖母から聞いた話を思い出した。関東大震災のときに津波が発生したそうだ。浜で見ていたら津波が折れて方向を変えて飯岡には津波が来なかった。だから、自分たちは助かったと言う話だ。この経験が教訓として残り、今回も津波は来ないと思って逃げなかった人がいたのではないだろうか。これは私の想像でしかないのだが。やはり、関東大震災と東日本大震災を通しての教訓は、一度被災を免れても、次はそうなるとは限らないと言うこと。そして、東日本大震災の二の舞にならないように備えていかなければならないと言うことだろう。

2011.3.11 東日本大震災 旭市飯岡津波被災の碑

 

    「2011.3.11 東日本大震災 旭市飯岡津波被災の碑」の先に「潮騒ホテル」がある。そこの一階の端に旭市防災資料館があった。この資料館は、学校の教室二つ分くらいの展示室と教室より小さめの談話室からなるもので、大きな施設ではなかった。しかし、飯岡には津波被害の遺構が残っていないので、当時の状況を知るためには貴重な場所になっていて、防災教育の場として訪れる学校も多いと、資料館の解説員の方に伺った。

潮騒ホテルと旭市防災資料館

 

    展示内容は以下の6テーマで、テーマごとにパネルが用意されている。また、備え付けのパソコンで当時の写真や映像を見ることもできる。
1. あの日を胸に、未来へ羽ばたこう
2. わたしたちは、あの日を忘れない
3. 過酷な日々
4. 復旧、復興への希望
5. みんなで築く、津波に強いふるさと
6. 未来へ届け、私たちの思い
ここへ来たら、必ず解説員の方の説明を聞いてもらいたい。その当時の状況、復興までの苦労などを知ることができる。そして、解説員の方は、実際に津波に流され生還された方で、「なぜ津波に流されることになったのか」、「津波が来ることになぜ気が付かなかったのか」、「どのように流され、生還したのか」など興味深いお話も聞くことができる。また、展示は被災の経験談だけでなく、「なぜ、東北から離れている千葉、それも飯岡だけ7mの津波が来たのか?」などの科学的な話もあり、内容も多岐にわたっている。

展示の一つで、津波が来た時間に止まった時計

 

    一通り説明を伺った後、私は解説員の方に「私の母方は平八郎の出です。平八郎の子孫の方は健在でしょうか?」と聞いてみた。解説員の方は驚いた様子で、「平八郎は屋号ですね。私の同級生です」と返事が返ってきた。この同級生は、たぶん私が50年前に遊んでもらった少年だと思う。解説員の方と私の親戚の家は近所で、それぞれ津波で家は流されたが、全員無事だったとのこと。解説員の方と私の親戚は、その後、家をどこに建てるか悩んだそうだが、元の場所にそれぞれ家を建てたそうだ。私は、この目で親戚の家を確認したくなり、場所を教えてもらい行ってみた。そこには綺麗な家が建っていた。東日本大震災発生時に頭によぎりながらほっといてしまったことが、ここで解決した。そして、裏に回ってみると昔のようにそこには浜があった。きっとここで遊んだのだろうと思いながら、海に向かって「これから大きな津波を起こさないでほしい」とお願いをした。

 

動画:旭市防災資料館、海岸の風景、津波タワー、飯岡灯台からの風景、玉崎神社お祭り