Column
2024.12.10
震災遺構 中浜小学校
取締役 撫佐昭裕
先日、震災遺構として保存されている中浜小学校(宮城県山元町)を見学してきました。ここを訪れたのはこれで2回目です。初めに訪れたのは3年ほど前で、中浜小学校の存在を知らずに偶然立ち寄った感じでした。仙台の復興道路から相馬亘理線を走っていると、ほとんど建物がない中、遠くにおしゃれな建物が見えてきました。近くまで来ると「震災遺構」の文字が見えたので立ち寄ることにしました。もともと海岸沿いを走っていたのは、このような出会いを期待していたからでした。駐車場に車を止め、受付にいらした解説員の方のお話を聞き、校舎の外観を見学しました。この時はあまり時間をかけることができず、校舎の中へ入ることができませんでしたが、中浜小学校のことを知ることができました。それは、生徒、教職員、住民合わせて90名が屋上に避難して全員無事だったこと、平成元年の校舎建替えの時に住民の強い要望で小学校の敷地全体を2mかさ上げしたこと、そして、これが功を奏したことでした。ここは奇跡の小学校だから、今度ゆっくり見学をしようと思っていました。
今回、仙台から常磐線に乗って中浜小学校へ行きました。電車を使ったのは、最寄り駅の坂元駅が津波被害で内陸に移転するとともに高架になったので、そこを走ってみたいと思ったこと、そして駅前の農水産物直売所に無料レンタサイクルがあり、駅からの移動も心配がなかったことです。駅から小学校までは10分程度で、帰りには大條家茶室に寄ることもできました(https://www.town.yamamoto.miyagi.jp/site/museum/25355.html)。
中浜小学校では、訪問したのが土曜日だったからかもしれませんが、受付、校舎1階、2階、展示室、そして避難に使われた屋上にそれぞれ解説員の方が配置されていて、丁寧に説明をしていただきました。説明を聞いていて分かったことがあります。それは、ここは“自分の目で津波の痕跡を見つけて、どうしてそのようになったのかを考え、また何が起きたかを想像し、津波災害を考える教育施設”であることです。漠然と見るのではなく、解説員の方の説明を聞きながら見てみると、場所によって被害状況が異なることがわかります。そして、それには理由があり、考えてみるとわかってきます。例えば、写真2は校舎の2階を写したものです。天井が壊れています。それも2階で天井が壊れているのはここだけでした。私は初め天井が壊れていることに気が付きませんでした。解説員の方に「天井も見てください」と言われて気が付きました。そして、「では、なぜ、ここだけ壊れているのでしょうか?」と聞かれ、考えてみました。津波の高さは2階まで達していましたが天井まで届いていません。多分、答えは、“津波が右から入ってきて、正面の壁で行く手を遮られて天井を押し上げ、破壊した”、だと思います。ただし、その津波は正面の壁を破壊するほど強くはなく、天井を破壊する程度に強かったことになります。この様に津波の痕跡を見て、理由を考えてみるといろいろなことが見えてきます。写真3は校舎の全景を撮ったものです。同じ1階でも窓の壊れ方が違います。そして、津波は屋根には達していないのに、右側の屋根の瓦が壊れています。これらにも理由があるのです。屋根の瓦については、展示室のビデオ映像で理由がわかりました。校舎にぶつかった津波が大きな水飛沫をあげていました。犯人はこの水飛沫です。
写真4は90名の方が避難した屋上の倉庫入口です(この内部は撮影禁止でした)。この倉庫に入ると、窓がない暗闇で、床には段ボールやアルミシートなどが散在していました。寒さをしのぐため、その場所にあった物や、父兄の方が津波が収まったあと体育館に非常用毛布を取りに行ったものでした。体育館は津波で浸水しているので、命を懸けて毛布を取りに行ったのだと思います。そして毛布はビニールでパックされていたので濡れていなかったそうです。この場所で当時のことを想像してみました。暗闇、津波が校舎にぶつかる音や振動、寒さ、空腹、不安、励ましあう言葉、などなど。想像を絶する状況で一夜を過ごしたのだと思いました。そして、2mの盛り土が行われていなかったことを想像したら怖くなってしまいました。本当に無事でよかったと実感しました。
この部屋を見学してから解説員の方から聞いた話ですが、当時、屋上への避難を判断された校長先生は、今なら地震発生後すぐに20分離れた高台の避難所へ避難させるとのことでした(中浜小学校は避難所にはなっていなかったそうです)。当時は、気象庁が6mの津波から10mの津波へ予報を変え、さらに早いところでは10分で津波が到達するとの情報を出していました。そのため20分離れた避難所への避難は危険であると判断し、屋上への避難を決めたそうです。しかし、倉庫での避難はかなり過酷なものであり、そのような経験を子供たちにさせてしまったこと、そしてより大きな津波を考えると、地震発生後すぐに避難を開始することが最善だったと考えているそうです。これはどこへ避難するかの判断の難しさと判断をした責任の重さを感じるお話でした。
今回、中浜小学校を訪問して震災遺構の見方が変わりました。漠然と見るのではなく、周りとの違いを見たり、どのように破壊されたのかを考えたりしながら見学することで、多くのことに気が付くことができました。そして、避難の判断の難しさを考える切っ掛けにもなりました。皆さんにも是非訪れて頂きたい場所のひとつです。
動画:震災遺構 宮城県山元町 中浜小学校