Column

2025.5.9

岩手県宮古市 震災遺構訪問

                                                                                                                                            取締役 撫佐昭裕

  ゴールデンウイークに岩手県宮古市へ一泊二日で出かけて来ました。目的は
      1. 震災遺構の見学
      2. 三陸鉄道に乗る
      3. 「みちのく潮風トレイル」を歩く
の3つです。宮古市を選んだ理由は「震災伝承施設」の第3分類施設が5つもあったからです。ここで第3分類は、「震災伝承施設」の中でも見学者が理解しやすいように配慮されている施設を表しています。第3分類の施設には案内員のいる資料館や交流センターが多いのですが、宮古市には実際に被災した「たろう観光ホテル」、「田老防潮堤」、「キャンプ場跡地(震災メモリアルパーク中の浜)」があります。今回はこの3カ所を巡ることにしました。

 

  宮古市に行くには遠回りになりましたが、久慈駅から三陸鉄道に乗って新田老駅に向かいました。写真1がこの時に乗った列車で「あまちゃん」ラッピング列車でした(ちょっとテンションが上がりました)。三陸鉄道は三陸海岸沿いにトンネルを掘って作られた鉄道ですが、トンネルを抜けた所々で三陸海岸の景色を楽しむことができました(写真2)。しかし、駅などの人家のある場所では写真3のように防潮堤があり、海岸を見ることはできませんでした。これは宮古市へ行ってからも同じで、海岸沿いにバスに乗りましたが海を見ることができないところが多々ありました。

                   写真1:三陸鉄道 「あまちゃん」ラッピング車両

                                       写真2:安家川橋梁からの眺め

                     写真3:防潮堤で海を見ることができない風景

 

  新田老駅を降りて少し歩くとすぐに防潮堤に着きました。旧田老町(現在は宮古市田老)は明治と昭和の三陸津波を教訓として、高さ10mの防潮堤を1934年から1958年にかけて整備しました(第1防潮堤、写真4)。その後、旧建設省が第1防潮堤の外側に第2、第3防潮堤を1978年までに整備し、全長24kmの防潮堤が完成しています。しかし、2011年の東日本大震災では10m以上の津波が押し寄せ、防潮堤を越えた津波は「射流」となって町を破壊しました(「射流」とは高い斜面(ここでは10mの防潮堤斜面)を下り、速度を上げた流れのこと)。そして、第2防潮堤は津波の引き波でほとんどが破壊されてしまいました。その跡が今でも保存されていました(写真5)。震災後は第2、第3防潮堤を14.7mの高さに整備し直しています(写真6)。昔の第1防潮堤に比べると大きくしっかりとした防潮堤になっています。これら防潮堤の上は人が歩けるようになっている所があるので、何人かの方が散歩を楽しまれていました。私も歩き、写真7にように防潮堤の上から港を一望することができ、また春の気持ち良い海風も感じることができました。

                         写真4:第1防潮堤(後方にも長く続いています)

                   写真5:破壊された防潮堤(本来なら奥の方まで続いていた)

                      写真6: 左が第2防潮堤、右が第3防潮堤

                                           写真7:防潮堤から見た景色

 

  第1防潮堤と第2防潮堤の間に「たろう観光ホテル」がありました。「たろう観光ホテル」は4階まで津波が浸水したそうですが、写真8(左)からもわかるように1階、2階は柱以外何も残っていません。4階までの高さの津波が発生した時間は長くなく、多くの時間が2階から3階の高さの津波だったと思います。そして、よく見るとホテルに向かって右側の方が左側より多く破壊されていて、写真8(右)にあるように右側は2階の天井がなくなっています。海が右側にあるので、射流となった津波が勢いよくホテルの右側にあたったのかもしれません。このホテルを訪問するにあたり気になっていたことが、被害者がいたかどうかです。「たろう潮里ステーション(学ぶ防災)」へ寄って聞いてみました。震災当日は、このホテルに宿泊者はなく、宴会の予約だけが入っていたそうです。地震発生後、宴会は中止となり全従業員は帰宅し、社長さん一人だけ訪れてくる人がいた場合の対応のために残ったそうです。社長さんは6階に避難し無事だったそうです。このホテルが震災遺構になったのは犠牲者がいなかったこともあったようです。やはり、訪れる方も安心して見学することができます。このステーションに寄って知ったのですが、事前に解説ツアーを申し込むと、「たろう観光ホテル」の内部や海沿のジオパークを車で案内してくれたそうです。

                                        写真8: たろう観光ホテル

 

  翌日は朝から「震災メモリアルパーク中の浜」へ向かいました。ここへ行くバスがないため宮古駅からタクシーを利用しました(料金は3,000円)。この場所は元々キャンプ場で、津波被害の状況をそのまま残して記念公園にした場所です。写真9は海岸から撮影したものです。左手にあるのが津波で破壊されたトイレ、奥の高台が震災後作られたもので、この高台に立った時の目線がここを襲った津波の高さ(15m)になるようになっています。写真10が炊事場の写真ですが、鉄筋でできていた屋根がなくなり、柱の鉄筋だけが残されていました。また、津波がどこまで遡上したかわかるように丘の斜面にマークが付けられていました。最大21mまで遡上したようです。この場所は「みちのく潮風トレイル」の通過点なので、私はここから「浄土ヶ浜」まで約12kmを歩いていきました。変化に富み景色も良くてトレッキングには良いコースでした。

                           写真9:「震災メモリアルパーク中の浜」の全景

                                                写真10:炊事場の跡

 

  そして最後に、宮古市を離れる前に、新海誠監督の映画「すずめの戸締り」の聖地があることを知り急遽寄ってみました。映画では主人公鈴芽さんが幼いころ津波の被害を受けた場所で電波塔と「後ろ戸」が出てきます。それが宮古市赤前に再現されていました。写真11です。映画と同じ情景になっています。これまたテンションが上がりました。今回は「あまちゃん」に始まり、「すずめの戸締り」と、テンションが高くなる旅でした。

                                        写真11:「すずめの戸締り」の聖地

 

動画:震災遺構訪問 岩手県宮古市